伊集院さんの人生

私は入籍したとき夫の姓を選んだので、「猿渡さん」から「伊集院さん」になりました(仮名)。

結婚して苗字が変わることをとても喜び、何につけても新しい苗字をプッシュしてくる人と、現在の制度に則って仕方なく夫の苗字を選択したもののまるで納得できず、新しい名前が他人の名前のように思えて仕方が無い人がいるかと思うのですが、私は圧倒的に後者でした。しかも強度の。職場でも旧姓で呼んでくださいとお願いしていたのですが、時々気を利かせているんだか何だか必要ないのにわざと「伊集院さん」と呼んでくる人がいて、その度に嫌な気分全開でした。「頼んでもないのにその名前で私を呼ぶんじゃねーボケ」と心の中で毒づいていました。これまで生きてきた「猿渡さくら」の人生が、サラサラと音を立てて崩れてなくなってしまうように感じてしまうのです。名前って、存在を確立させるのにこれほど強い意味を持っているのだということが、名前が変わって始めて気がつきました。夫婦別姓を強く訴える人の発言を読んで、ひどく納得したのもこの頃。

しかし生活は待ってくれません。病院や役所やなにやら、戸籍名と直結するところでは当然「伊集院さん」と呼ばれるようになり、呼ばれたら返事をして対応しなければいけない。私が用事があって行っているのだから当然。意外と、私が「猿渡さん」であったことを知らない見ず知らずの人から「伊集院さん」と呼ばれるのは、当たり前だという気持ちも手伝ってそう不快にもならず、次第に慣れていきました。ひとりの私なのだけど、「猿渡さん」と「伊集院さん」の両方の顔がある、みたいな感じで。

そして入籍後1年半くらいで、仕事を辞めました。日常的に「猿渡さん」と呼ばれることはなくなりました。「伊集院さん」が勢力を増してきます。その数ヵ月後、引越しをしました。以前の住居には私の仕事の都合上「伊集院」「猿渡」を並べていたのですが、新しい住居のポストには「伊集院」のプレートを貼りました。ここが私の家です。さらに再就職をし、職場でも「伊集院さん」となりました。すんなりと受け入れることができました。いささか薄情な気もしないでもないのですが、よほど強固な意志や主張が無い限り、状況に慣れきってしまうものなのだなとぼんやり思いました。ある意味恐ろしさも感じるのですが。

けれどそう簡単でもありませんでした。職場でメールを書くときに決まり文句で「お疲れさまです、○○です」みたいな名乗りをするのですが、これを実に無意識に、「お疲れ様です、猿渡です」と書いてしまうのです。勤め始めの頃だったので、メールはいつもよりよく見直しするようにしていたので、そのまま送ってしまうことは無かったのですが。それでも数回はヒヤリとして書き直ししました。さすがに最近これは無くなったのですが、まだ「伊集院さん」という呼びかけへの反応が甘いです。特に集中しているときは、一度呼ばれただけでは気づかないことが多いようで、よく謝っています。これは、前の職場にすでに「伊集院さん」が居たので、そっちに反応しないようにしていたクセが残っているのかもしれません。

入籍してもうすぐ2年。ようやく「伊集院さん」の私への違和感が無くなってきました。そうそう、先日前の職場のバーベキューに参加してきました。そこでは当然「猿渡さん」と呼ばれるのですが、これまた何の引っ掛かりもなく自然に対応できて、嬉しかったです。「猿渡さん」と「伊集院さん」のわたくし、どちらも大事にうまく付き合っていきたいと思っています。